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社会

2011年12月26日 (月)

市立中央図書館へ

私は市立図書館に3冊の本を予約している。『アラブ革命はなぜ起きたのか』と『幻想の平和』にしても11月中旬に予約して、12月16日正午時点でまだ何も音さたがない。とはいえ、この2冊は借りている人が返してくれれば、すぐにでも読める状態にある、といっても構わない。しかし何というか、11月時点からこの2冊は予約者リストに複数人が名を連ねているように思えた。それでどうして12月のクリスマスまで終わったこの時期に借りられないのかが、非常に不思議である。

前者の本は、露米の衰退を人口学の観点から予言しているエマニュエル・トッドの著作であり、後者は戦略学者の奥山真司氏が翻訳したということで、それなりに日本でも知名度があると思われる(特に奥山博士が訳した本は大抵が市場に出回る。岩波書店のように買い切りではないので、そこそこ知名度はあるであろうし、実際我が市の中央図書館には『幻想の平和』を含めて分厚い本が3冊入庫している)。

このあたりはまだ我慢できるが、我慢できないのは7月末に予約を入れた『Google英語勉強法 お金をかけずにネイティブから学べる』である。確か予約当時に8人並んでいたと思われるが、年末のこの時期に、ウェイティングサークルにはまだ5人の名を連ねている。この本だけ誰かに盗まれたのか、それとも図書館当局が本気で貸すつもりはないのか、と我が邪念は疑心暗鬼になっている。

こうなれば市立図書館の愚痴を吐きまくるだけである。というのは、平日午後7時まで開館、土日祝は5時まで開館で、祝日は原則開館、というのは、地方都市の図書館にはよくあるが、周囲の図書館は土日祝も午後7時まで開館しているところもあり、すごいところになると午後10時まで開館、床まである始末である。それに休館日も月一回連休させて、それ+α程度が閉館日というのも普通にある。なぜ東京にあって、なぜ企業城下町にあって、このようなざまなのだろうか。それから多摩地方の図書館と23区内の図書館の違いなのであろうが、前者はその都市に在住・在学・在勤者をメインに貸し出しているが、後者はどこに住んでいても(稚内に住んでいても、与那国島に住んでいても―というのは理論上の話だと思うが)図書館から本を借りることができるという違いがある。

我が町の図書館は、現代型の図書館の草分けとして、図書館関係者には評判が高い。ただ、「草分け」ということで、何となく昭和40年代の運営で続けているうちに、周りの都市の図書館がサービスを強化して、結果として現在においては我が町の図書館は運営面で周囲と比べて著しく劣るようになってしまった(いや、図書館員個人は皆さん優しい方々ですよ)。我がの市長が保守派で、図書館などというお金を生まないところにあまり大金を投じたくはないのだろうが、ひとつずつ直してもらいたいものである。

それから、我が町とは無縁の話であるが、道南に住んでいる某軍学者は、日本の図書館事情の貧困さを嘆き、その改善を期待しているみたいだが、そもそも日本みたいに一冊あたりの書籍代金がだいたい欧米より安いので、私のような特殊事情を抱えているもの以外にとっては、ある分野で趣味でも仕事でも知識を深めたいものは、図書館で借りたりなどせず、自分で必要な書籍を買い集めるのが常識である。

それから同じく軍学者にお知らせしたいのは、千葉県ならともかく、東京の各市の図書館員に、司書を採用してずっと彼/彼女に本を扱わせると信じ込んでいるみたいだが、都下の図書館では市役所の一セクションとして扱われており、単なるジョブローテーションに一部に図書館勤務が入る、という形式を取っている。詳しくは辻由美著『図書館であそぼう 知的発見のすすめ』(講談社現代新書 1999)を読了して欲しい。

2011年1月13日 (木)

ゴトビ監督は元ペルシャ人&『マルチリンガルの外国語学習法』より

多言語話者(「ポリグロット」とか「マルチリンガル」と呼ぶ)を何となく目指している私は、実際に多言語話者の勉強に関する本を書店で見つけると買ってしまう傾向がある。その中で今回は『マルチリンガルの外国語学習法』(石井啓一郎著・扶桑社新書)の中に書かれていた内容を取り上げたい。この本は安易に多言語習得ができるという考え方に警鐘を鳴らしている。ロマンス諸語であるスペイン語・カタロニア語・フランス語・イタリア語がいかに違うかを綿々と唱えている個所さえある(第五章)。

著者が多言語話者になった経緯は、あくまで文学の習得がきっかけという。この著者の使える言語リストの中にはペルシャ語が含まれていることが重要である。ただペルシャ語に向かう筋には紆余(うよ)曲折があり、アフシン・ゴトビ清水監督を亡命させたイラン革命が著者のマルチリンガルとなったきっかけではあるが、日本の大学でイスラム学を教える大学は数が少ない上に偏差値が高いということで上智大学の出身となったわけであり、そこは当然ミッションスクールなので、キリスト教サイドから見たイスラム教なので、先に習得した言語はスペイン語やフランス語である。そこから東に進んで、最後にたどり着いたのがペルシャ語というわけだそうだ。そしてそれらを学んだのはほとんどが文学の研究目的であるが故ということである。この著者が味わわされたものが、下で詳述する「タァーロフ」である。

ペルシャ人の社交儀礼に「タァーロフ」という習慣がある(pp90-93)。まぁ、日本でいうお世辞に近いものであるが、あえて上記のようなペルシャ語でこの著者は紹介している。まぁイランに限らずどこの国でも少しその国の公用語が話せる人間にこそ「~語が上手ですね」というのは(多分)世界共通なものだと思うが、この「タァーロフ」は単なるお世辞以上の意味を持っているような気がする。

アジア杯終了後に来日する清水エスパルスのゴトビ新監督は果たしてそのような習慣を身につけているペルシャ系アメリカ人である。エスパルスにゴトビ監督が着任してからはどのような言動をするであろうか。ゴトビ監督が主(ホスト)で、選手が従(ゲスト)な訳であって、ホストたるペルシャ系の人間が実際に「タァーロフ」を発揮したらどうなるであろうか。

ある選手にある種の直すべきアクションがあるとして、それを指摘するというよりは、別の長所たるアクションを褒めるということになりはしないだろうか。昔のプロ野球で元阪急・日本ハムの上田監督が「え~で、え~で」と褒める選手が真っ先につぶされていくという現象があったが、我が清水エスパルスでその再現が起きる、というのは杞憂(きゆう)であろうか。もちろんそうであって欲しいし、ゴトビ監督は教育のほとんどを合衆国で受けている(大学はUCLA)ので、率直な欠点指摘と重要な修正の方法を伝授することができると思いたいが、現在イラン代表監督をしているゴトビ新監督は、やはりペルシャ人としての行動様式を身につけている可能性が高い。

まぁ最近の記事で、ゴトビ監督は策士かつ戦術家であることを証明したが、選手の育成については、今のところ不明である。UCLA在籍中からサッカー指導者/アナリストの道を歩んでいるゴトビ監督ならば合理主義を発揮してくれるだろうと信じたい(UCLAでは機械工学を学んだという)。

2011年1月 8日 (土)

黒田龍之助先生の新著を読み始めました

まだおとそ気分が抜けていない時期であるが、社会人ならばもう仕事は始まっているので、そうゆっくりしているわけにもいくまい。

ところで、この「狗頭羊肉」ブログであるが、アクセスの際に使われる検索ワードを調べると、「日大三高」と「黒田龍之助」(もしくはそれに近い単語)が2トップを形成している。

日大三高は今春の甲子園出場が内定している(が、大会寸前に不祥事を起こして、日大三高の対戦相手となりそこねた明徳義塾高のような例もあるので、用心、用心)ので、その関係だと思う。実際に去年11月23日付のブログでそのことに言及してあるので、そこに吸い寄せられるのであろう。

しかし、黒田龍之助先生の件については、確かに去年の9月2日のブログで取り上げたが、あれは本当にたまたま、検索エンジンで「黒田龍之助」と入力して表示された三修社さんのサイトを見て、好き勝手に書き散らしただけのことなので、三修社さんには頭が上がらない。まぁ一応同社が出版した黒田龍之助著の本である『ぼくたちの英語』は、たったの1部ではあるが、一応自分用に購入して楽しませて頂いたので、勝手に引用しても、ネット世界の流儀に反していないはずである(もし、「無断リンクを禁ずる」と書いてあったら、いきなり法的手段に訴える前に私にご連絡下さい。すぐに該当記事を削除します)。

ということで、日大三高と共に私のブログへのアクセスを増やすことに貢献して下さる黒田先生に感謝する意味で、先月出版された『ロシア語の余白』(現代書館刊)を購入した。一昨日に到着したばかりであり、仕事していないのに年始ということでバタバタしていたので、まだ本のほんの少ししか読んでいない。ここでは、近日中に同書の書評を書くという予告の意味でこの記事をアップしたことを報告している次第である。申し訳ないが、近日中というのが何日後なのかを明確にできないので、期待されている方は数日後にまた訪問して欲しい。できれば連休明けには何とかしたいと考えている。

2010年12月 6日 (月)

【書評】『旅の雑学ノート ソウル』

ずいぶん前に買った本である。もう何回読んだか分からない。ちなみに奥付には2008年9月出版とあるから、「韓流」便乗企画ではなさそうだ。この本は韓国人(タイトル上、ソウル人ということになるが、それはやむを得まい)の日常生活を観察する、という意味でそういうことに非常に興味を持っている私にとっては干天の慈雨のような書籍が出たものだ。

もちろん嫌韓本ではあり得ないが、「1998年(平成10年)、初めて私は韓国の地に降り立った。冬至当時はまだ友人だった妻の故郷ソウルを訪ねるためだ。一週間ほどの滞在だったが、空気が臭い、街が汚い、人が粗暴、運転が荒いなど、街全体の第一印象は最悪に近かった(後略)」(P301)という身もふたもない直球ど真ん中の第一印象を遠慮せずに記載している。もちろん、「人が粗暴」といっても知り合いに対してはとことんお節介な韓国人のこと、現在の婦人夫人の周囲にいる人々が優しかったから当時の友人である今の妻と結婚したのである。

もちろんこれ一冊でソウルのすべてが分かるわけではないが、それでも観光ガイドブックにはソウルのハレの部分しか書かれていないのに対して、この本は特に意識してケの部分をピックアップしているように私には読めた。清凉里駅の公衆トイレに寝泊まりしているホームレスの写真にはビックリさせられた。また、李明博大統領を大統領たらしめた大功績の一つである清渓川の改装についても、観光拠点としてにぎわっているソウル中心部だけでなく、さらに下って下流域には昔ながらのソウルの、できれば外国人には見られたくないであろう、都市が排出するさまざまなものが保管されている様子というものも写真付きで紹介している。また、ソウルで起きた大事件・大事故も包み隠さずに紹介しているというのも好感が持てる(そういえば、嫌韓2ちゃんねらーやブロガーは、古い本や電波な著者の本(あと韓国の新聞の日本語版)ばかり引用せずに、こういう個人としては親韓(何せ妻が韓国人だから)でも、韓国の闇を堂々と紹介しているこういう本を引用したりとは考えないのだろうか)。

とはいえ、そういう都市の闇だけではなく、しっかりと韓流に便乗している項目もあり、特に江南地区の芸能人が経営しているか関係が深い店の紹介もしっかりされている。そういえば、韓国は漢字教育に力を入れていないだけに、カフェの名前にも時々外来語でなく韓国言葉を使っている店があるようで、特にこの本に載っている店では「蝶も花だった 花を去る前には(나비도 꽃이었다 꽃을 따나기 전에는)」という詩の一編を取り出したような名前の店が紹介されている(最も気が早い韓国人のこと、本の出版から2年を経た現在も同じ名前で経営されているとは限らないような気がする)。

ソウルを観光客目線でなく、居住者目線で眺めてみたい人は、ところどころ韓国(ソウル)の闇の部分も書かれているとはいえ、それ以上に街が街たる部分を余さずに(とはいえ、すべてが書かれているわけでもないことは仕方ないが)紹介しているので、ぜひ購入して読んでいただきたい。

2010年11月 2日 (火)

駅メロに「いきものがかり」 小田急本厚木駅と海老名駅

http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201010270580.html
朝日新聞 2010年10月28日配信

小田急線では二駅目・三駅目となる駅メロを海老名駅と本厚木駅で流すことになった。記事の配信日は先月28日だが、開始日は明日となる。海老名駅はいきものがかりのメジャーデビュー曲である『SAKURA』で、本厚木駅は近年大人気の『YELL』である。どちらも上りホームはイントロで、下りホームはサビとなる。この駅メロは列車が近づくことを知らせるメロディとして鳴らすことが目的で、新聞記事には書かれていないが、通過電車が近づく場合にはどうするかは不明である(海老名駅は特急は停車せず、本厚木駅も一部の特急が通過する)。

記事にあるように、小田急電鉄では駅はなるべく静かにするように心がけてきたが、祖師ヶ谷大蔵駅でウルトラマン・ウルトラセブンの駅メロを鳴らし始めたことで、その原則が崩れ、今回、いきものがかりサイドからの楽曲提供の申し出を受け入れることとなった。

ところでその海老名駅と本厚木駅の関係であるが、海老名駅が小田急電鉄と相模鉄道の乗り換え駅として、駅前にビナウォークを整備し始めたのと軌を一にするように、本厚木駅前の店が寂れ始め、今では本厚木駅前は駅を降りて3分も歩けば空き地だらけとなっている。PARCOは撤退し、イトーヨーカドーやビブレも果たして単独店舗で黒字を出しているのだろうか。私が学生のころ(これでどこの大学行っていたかばれるな)は海老名駅は単なる乗り換え駅で、駅を出ても何もなく、本厚木駅前こそが周囲の中で第一の繁華街の座を満喫していたのだが、先述のごとく海老名駅前のビナウォーク整備とともに本厚木駅前がくしの歯が抜けるように店舗が脱落し始めた。

もちろん今でも駅の乗降客数では本厚木駅の方が多いのであるが、これは広大な20万都市の厚木市に駅が二つしかなく、必然的に厚木市の住民が本厚木駅から通勤・通学しなければならないからである。

それでも本厚木駅の北口を降りるとまぁまだ何とか繁華街の景色を見せているので、いきものがかりもインディース時代には駅前で活動していたということで、その恩返しとして、今回の楽曲提供を申し出たのである。果たして本厚木駅前の再起はなるのであろうか。または海老名駅前との繁栄の両立はなるのであろうか。そこが興味のあるところである。

2010年9月29日 (水)

日本における「シナ呼称問題」

普通の日本人が「中国」と呼んでいる国のことを執拗に「支那」と呼べという論者が数人いる。渡部昇一・兵頭二十八・呉智英が有名である。

私はその説を理解しつつ、違和感を覚えている。まずは「支那」説を要約してみよう。ヨーロッパ言語ではかの国のことを大抵古代王朝の「秦」に由来するChina(英・独)、chine(仏)などと呼んでいる(ちなみにロシア語ではКитай、これは北方諸語では多用されている)。これには誰も抗弁するものはいない。ならば日本語でも同じ由来の支那・シナと呼んでも差し支えない上に、中国というのは「世界の中心にある国」という意味だから不適当である、ということである。

その理論には瑕疵はないと思うが、もうあそこにある国は百年近く「中華民国」「中華人民共和国」という名前の国である。もちろん中華民国時代(もちろんこの国は現在も台湾島とその周辺の島嶼部に存在しているが)にこそ「支那」という用語が多用されたわけだし、私が時たま「合衆国」「連合王国」と呼んでいる国は通常は「アメリカ」「イギリス」と呼ばれ、それで十分に通じている。

では私はどんな違和感を持っているのか。「中国」というと、「シナ呼称論者」には「世界の中心にある国」を連想させるようだが、私には「大英帝国」「大日本帝国」に対する「中くらいの国」を感じさせる。もちろん「中華民国」「中華人民共和国」の略称としても十分に通じると感じる。ただ、モノの本で読んだ話では、日「本」国に対する「支」那という感じがするので中華民国の外交官が「支那呼ばわりはやめてくれ」と抗議したという話が残っているそうだ。だから一部の「シナ呼称論者」は漢字では書かずにカタカナで「シナ」と書く。

私の「中国呼称論」は上記の通りなので、「シナ呼称論者」の文章を引用する時以外は中国と書く。ただこれが「中国」ではなく、「中華」と呼べと両国が抗議してきた場合(これだって両国の国号の略称には違いないから)は「シナ呼称論者」の論理を借りて私でさえ反論するであろう。「中華」という呼称にこそ「世界の中心にある皇帝が生わすところ(今は皇帝ではなく主席と総統であるが)」という意味をたっぷり含んでいるからである。

私はあまり好きではないが(Wikipediaの彼の項目を読んで、彼が最初の妻になしたことを見て欲しい。あれでは子供が可哀想だし、私なら自殺しかねない)、司馬遼太郎という高名な文人がいる。彼は中国と韓国/朝鮮には固有の地域呼称がない、と喝破した。実は日本もその意味では固有の地域呼称ではないのだが、一応万世一系を貫いているので(ここでは異論は認めない)、たまたま王朝名が地域呼称になっているだけである。ヴェトナム(越南)も似たようなものだが、中国明朝期に認められた王朝名がたまたま地域呼称になって現在に至っている、という次第である。第二次大戦後に国が二つに割れた時に北も南も国号にヴェトナムを入れた上にヴェトナム戦争で北が勝ったからヴェトナムで問題なく通じているだけなのだろう。

何かうまい解決方法はないのだろうか。アフリカにコートジボアールという国がある。訳すると「象牙海岸」なので、政体と合わせて、象牙海岸共和国という言い方もあったらしいが、同国の外務省と大使館が「我が国の呼称は各国語に訳して表現してはならない」との通達を出して、世界中に守らせている。誇り高き大陸中国でさえ音訳でかの国を表現している。できれば同じように世界中にChinaではなく、Zhongguo(中国語の発音上の「中国」)であるとの声明を発して、発音はピンイン方式でも各国語の方式でも構わないと通達を出せばそれですべては解決するのだが、日本のウヨサヨ問題程度でこんな通達を出してくれるとも思えないので、「シナ呼称問題」は永遠に続くのだろうか。

2010年9月27日 (月)

日本における外国語教育(特に英語について)

http://lm700j.at.webry.info/201009/article_26.html を起点に、

http://togetter.com/li/53889 を発見して考えたことを少し論じてみたい。ただ、このサイトはツイッターとリツイートを元に作られたサイトだが、すべてのリツイートを見ているわけではないので、私の論述に過ちがあるかもしれない。どちらかというと、語学教育だけではなく、エリート教育すべてに関する論考と思って下さい。

よく日本人のTOEFLの平均点がアジア最低、世界最低と言われることがあり、その理由に「日本人は裕福だから、留学を目的としないものも受験する」と言われる。そして受験者がアジアでは圧倒的に多数であることもその補助線として加えられることが多い。

しかし、このリツイートを見ると、日本の受験者は7万人、韓国の受験者は10万人と、人口比が5:2であるにもかかわらず、韓国の方が受験者が多いのである。まぁかの国の留学熱によって、この10万人はほぼすべて留学希望者と見て良いのだが。

そういえば日本人で正規留学を希望するものは何を目的とするのだろうか。日本では国内の四大を卒業して新卒で入社した企業に定年まで働き続けることが(一種のファンタジーとはいえ)、最高のキャリアコースト見なされている。ここに留学というものの入る余地はない。むしろ留学する者はキャリアコースから外れた者と見なされるのではないか。

もちろん例外はいる。学者志望者とキャリア官僚見習いあたりか。あと、マスメディア周辺で生息する連中にもいそうな気がする(それは前者の落ちこぼれなのだろうか)。そういった連中が世論を形成するのだから、日本人のTOEFLの平均点の低さを嘆くのはよくわかる。しかし、果たして日本人の上位五分の二と下位五分の二の人生キャリアコースに外国語の必要性はあるだろうか(上位五分の一ならさまざまなキャリアコース―上記の学者とキャリア官僚など―が考えられるので除外した。五分の二だと、先述の「最高のキャリアコース」を歩んでいる者を想定しえると考えたのでここを定めた)。

このレベルだと、もし急に英語が必要になった時、上位五分の二なら会社や役所が研修を用意して英語力をつけてくれるだろうし、下位五分の二ならどこの国でもブロークンイングリッシュで押し通してしまうのではないか。海外旅行でむちゃくちゃな英語で買い物をしても、大して問題がない、アレである。そのレベルでいい英語力ならば、むしろ国際的観光地の土産物屋のおっちゃんおばちゃんの英語力は、「ある意味で」非常に高い(時には中国語だったり韓国語だったりする可能性もあるが)。生活に直結しているからだ。だが、あの英語を教えて欲しいという英語学習希望者は、誰もいないと私には確信できる。

そして日本という国は実際、学者・キャリア官僚と国際的観光地の土産物屋にいるおっちゃんおばちゃん以外は外国語を必要としない国なのである。これが韓国だと留学経験者は社会のさまざまな場面で優遇されると聞く(逆に日本と同様に韓国式生活様式とかけ離れているので敬遠されるという話も聞くが、どちらが正しいのだろうか)。もちろん外国語熱は非常に高く、私のような下位五分の一に属する者でもいろいろな外国語を学び散らしているし、各カルチャーセンターにおける英語を含むさまざまな外国語のコースは満員御礼である(中には一般人にとって聞いたことがない国の言葉のコースは最低開催人数不足で開講できないこともあるが)。

そういう国の外国語教育のあり方というモノを、大陸国で、四方を国境に囲まれている国の外国語教育と同列に考えるのは何かおかしいのではないか、という常識は働かないのだろうか。この問題に関しては、先述の学者希望者・キャリア官僚の見習いを除いて、自分の頭で考える必要があるのではないか。繰り返すが、この問題はどこにも参考になる国はない(韓国なら、反面教師としてなら非常に参考になると思う)。

私の提案は(というよりは自分に言い聞かせることなのだが)、外国語が生活に必要な者を除いて(本当は含めてなのだが)、カルチャーセンターあたりで外国語を学ぶ者は、それでもその言語に通じたいなら練習の量と時間を確保することであり、それがさまざまな理由や人間関係で不可能なら、カルチャーセンターの~語講座とは~語を習うと称して人間関係を築く場であると割り切るのが筋である。

こういう問題は前のエントリーでご登場願った黒田龍之助先生が詳しそうなのだが、私には氏にお話を聞くためのコネがないので、問題点を列挙して、最低の提案を自分でして見た。このブログのウォッチャーさんたちにも是非コメントでご参加願いたいものです。

2010年9月 8日 (水)

エマニュエル・トッドに関する備忘録

実はこのブログで一回だけ、エマニュエル・トッドに出演いただいたことがあったのですが、当時は"Qui est M.Todd?"という状態だったのですが、今年に入って現在の地に住み着いてから、トッド絡みの単行本はすべて目を通した。さすがに藤原書店が出版している雑誌『環』のトッドに関する論述は未見である。

その時のトッドの予言は「日本のような国にアメリカ型自由主義モデルに基づいた規制緩和を持ち込むことは、極右勢力の台頭を引き起こすに違いない」というものだったのですが、実現したとも言えるし、外したとも言える。それは自分で理由を述べているように、日本は既に老成しているのが原因ではないか。ただ確かに「ネット右翼」というものの存在は(これが存在するかどうかを論じるとまた長くなるので、ここでは存在すると論じられているものとして扱う)予言の一部として的中したことの証しかもしれない。

今回のエントリーは備忘録なので、トッド関連の書籍(のうち、和訳が出版されたもの)がフランス本国および日本で発売された順番を書き連ねるにとどめる。

フランス本国
『第三惑星』  1983
『世界の幼少期』  1984
『新ヨーロッパ大全』 1992
『移民の運命』  1999
『経済幻想』  1999
『世界の多様性』→『第三惑星』と『世界の幼少期』の合本 1999
『帝国以後』  2002
『文明の接近』  2008
『デモクラシー以後』 2009

日本での翻訳
『新ヨーロッパ大全』 1992・1993
『経済幻想』  1999
『移民の運命』  1999
『帝国以後』  2003
『文明の接近』  2008
『世界の多様性』  2008
『デモクラシー以後』 2009

なおトッドは(少なくとも以前は)EU統合反対論者で、あるところで「2005年までにユーロは崩壊する。しなかったら笑いものにしてもいい」と予言していたが、現在の金融危機においてもフラフラではあるが何とか持ちこたえている。氏は経済学者ではないので、詳細な総括を求めるのは難しいが、このことについての弁解が聞けたら知りたいものである。

2005年6月14日 (火)

俺はニートだ!

 プロフィールにも記しましたが、私はニートである。ただ政府の定義(15歳から34歳のうち、就職の意思がない人と意思があっても求職活動をしていない人を合わせた者で現在、日本には52万人いるとされている)によると、ニートの基準からは外れることになります。年齢のせいだからです。私の年齢については5月14日の記事を見てください。
 政府がなぜこのような定義を決めたのかというと、現34歳以下のことを団塊ジュニアと称して、人口の一大構成層をなしているからではないでしょうか。またうがった見方をすれば、求人で企業が求めているのは35歳以下なので、それより上の年齢の者はほかの定義ではニートに当てはまっても、もはや役立たずとして切り捨てているのかもしれない。つまり一種の高齢者だ。
 Not in Education, Employment, and Training(NEET、ニートの原語)から抜け出ようと、近所にある大学院に通学する話も親としました。つい最近までは職安やしごとセンターに通って職探しもしました。"Training"を受けるために、自分で探して大学のオープンスクールに通ったり、専門学校に通うか、あるいは通信教育を受けるかも検討中です。
 話は変わって本物のニートの話。企業側は昨今の好景気、または2007年問題と呼ばれる団塊世代が大量に退職する可能性を想定して、新卒の採用を増やす(可能性が高い)と新聞などにアナウンスしています。しかしそこには落とし穴があって、企業側が求める能力を持った(実際には協調性が豊かな、という意味であろう)人材が得られないのであれば必要な人数がそろわなくても採用を打ち切る、とも一部のメディアには報じられています。
 そこで問題。果たして企業は採用を増やして、新しく発生するニートの源を減らすでしょうか。私は絶対にそういうことにはならないと断言します。現時点でさえ、リストラで人数が減った部署に人が減る前と同じだけの仕事を割り振っておいて、サービス残業・深夜残業でこれをカバーしてきた企業側にそのようなことをいわれて信じるバカがどこにいますか。団塊世代が大量に退職する、といわれる問題にしても、企業は今まで長い間働いてきた人材を、海のものとも山のものともつかぬ新人に切り替えるでしょうか。もちろん今まではそうしてきたわけだから、2007年問題が起きるといわれているのですが、不吉な予言を一つ。企業の社長などに人気の高い作家である堺屋太一氏が、「団塊の世代は不可能を可能にしてきた」といい、さまざまな例を挙げていますが、将来の予言として、この2007年問題をも彼らはクリアしてしまうと、つまり定年延長や再雇用、そのほかの方法で退職から逃れると予言しているのです。
 我々ニートの側では全力を挙げてこれを阻止しなければならないのですが、数々の予言をあて、名言を生み、財界に大きな影響力のある堺屋氏の台詞なだけに、そんな世の中を生み出してしまうのを見越しているのでしょうか。しかし現役のニート、あるいは私のようなニートOBにとっては、少しでも日本の会社の中に自分の居場所をつくる必要があります。その居場所とは、主に現在は団塊世代が会社の中で占拠しているのです。
 そもそも日本の会社はコスト削減のために最低限、あるいは仕事上必要な人数から見て少ないと思われる人数で仕事を回しています。これが欧米では、有給休暇などで人数が足らなくなることを想定してあらかじめ、仕事を回すのに必要な人数より多くの人員を配置しておくのが一般的とされています。さらにオランダでは、一部必要な人数の二倍の人員を配置しておいて、午前と午後で人を使い分けるといった、いわゆる「ワークシェアリング」が行われており、日本でもこれを取り入れてはどうか、といった主張が2~3年前にはありました。最もその主張をしていたのが左翼系の学者が主体であったために、政策には何ら影響を与えずにメディアから消えていきました。
 しかしわざわざワークシェアリングまで行わなくても、現在行われているすべての残業(サービス残業はもちろんのこと法定内で容認されているすべての)を解消する、と仮定すれば、今存在する52万のニートはともかく、それよりはるかに数の多い、仕方なくフリーターで糊口(ここう)をしのいでいる者も、即座に正社員として吸収される計算になる、との意見もあります。問題はサービス残業を取り締まるべき日本の労働基準監督官がほとんど機能していないことです。日本の法律は経済犯罪に甘いとは、自らも起業家である、軍事ジャーナリストの清谷信一氏の台詞ですが、経済犯罪を監視する部署がまともに機能していないのでは、むべなるかな、といわざるを得ないのですが、自らもそのことに苦しめられた過去があるので、納得している場合ではありません。
 社会の側も手をこまねいているわけではありません。フリーターという低賃金労働力、ニートという非労働力の存在を甘受しては、さまざまな社会制度が維持できないからです。フリーターやニートの問題が協調性の問題というのなら、我々のコミュニケーション能力を高めるセミナーなどが職安などで開催されています。最も私も含めてフリーターやニート個人に対してその情報がなかなか届かないという問題があります。政府も有識者を集めて対策会議を開いています。しかしこれも隔靴掻痒の感は否めません。
 さて、ニートとしては何をすべきなのでしょうか。現在求職をあきらめているとはいえ、全員が求めているわけではないとはいえ、ほとんどのニートは職に就くことを求めているはずです。ただ、会社が求めている技能と経験を我々は持ち合わせていないが故に、求職活動をあきらめているのに過ぎません。我々ニートが会社で働く協調性や営業能力を持ち合わせていないというのであれば、一人で働ける仕事を探して、その仕事に就く努力をするのがいいのでしょうか。それとも自分探しのために大学に(再)入学して2年ないし4年間を過ごしてみるのがいいのでしょうか(ちなみに大学院でもいいのですが、大学院の入試で自分探しのそぶりをちらりとでも見せると、大学関係者は露骨にいやがるので注意してください)。それとも極論になりますが、ニート52万人を核に、150万を超す若年失業者、数百万のフリーターを併せて政治団体、あるいは圧力団体をつくるのがいいのでしょうか。
 簡単に結論が出る問題ではありませんが、ブログ「労働、社会問題」では、新卒者をニートやフリーターにせずに職を与えるにはどれだけの労働需要が必要かを算出してあります。これによると、現在の求人量では、到底若年失業者の発生を食い止められないどころか、少子化といわれる現在15歳以下の世代でさえも、18歳、20歳、ないし22歳の選択では失業者とならざるを得ない層が現れるということです。
 となるとマクロの対策では需要の喚起、ということになるのですが、ミクロの対策では各個人が弱肉強食の世の中で自らの選択を間違えずに職に就く、就職したら石にしがみついてでもその会社を辞めない、というごく普通の結論に落ち着くことになります。

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    よく知っているやさしい単語を組み合わせて、状況に最適なフレーズを使いこなせることを目標にした、機能重視のアプローチ。ビジネスシーンで信頼度がアップする、ビジネスマナーや英語的発想法も学べます。現役ヘッドハンターがナビゲートする新感覚ビジネス英語講座。
  • NHKラジオ英会話

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    5ワード前後の短いフレーズによるダイアログ(会話)、実践的な文法解説、ライブ・レポート(実況中継)や英語の歌など楽しめる要素も満載。オリジナルCMの聴き取りにも挑戦して、目指せ、ナチュラル・スピード!