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つぶやき

2012年1月 8日 (日)

平成24年に向けて

明けましておめでとうございます。といっても、もはや人によっては七草粥を食べた方もいると思うので、今更感は否めないが。それでも一年の大計は元旦にあり、を強引に実践してしまうところがこの『狗頭羊肉』ブログの持ち味なので、一週間遅れの「今年の抱負」を語ることにする。

まずやはり言語の問題である。現在受講している朝鮮語(実質は韓国語)とセルビア語を習った範囲内でマスターするというのが最低限の目標である。朝鮮語は変則活用と連体形、それに初級レベルとしては助詞(特に格助詞)を正しく身につけるということである。あとは単語単語であろうか。セルビア語はヤジのような卑語を扱った用語集が入手できないので、とりあえず生中、ではなくとりあえずはニューエクスプレスセルビア語(クロアチア語)の各課におけるスキットと重要文法項目だけでも暗記する、というレベルに到達したい。できることならばamazon.co.jpで売っている英語←→セルビア・クロアチア語の辞書が欲しいが、さすがに5000円超の洋書はそう簡単に入手できるものではない、と腹をくくって購入できる日を待つこととしたい。

言語で自習している部分は、何といっても中国語とロシア語が大事である。ただ中国語はセンスとして文法や発音を身につけているところがあるので、とにかく単語単語で推し進めてもそれほどの困難は生じないと思う。ロシア語が問題であり、とりあえず初級会話に属する決まり言葉や相づちのような言葉を覚えれば、e-mailの送受信にもそれほどの困難は生じなくなるものと期待している。

あとはフランス語とスペイン語をチマチマと自習したいが、優先順位が下がるので、うまくいくかどうかが問題であろう。まぁどちらにしても現状ではゆっくりとやっていきたい、というのがせいぜいであろうと愚考している。

言語習得以外のことをいえば、ゲーム雑誌を3カ月に一冊くらいのペースで購入し、同じくらいの間隔で千葉会・ちはら会・茨城会に参加できればgoodであろうというところか。ちなみに去年は千葉会の例会に2回参加し、忘年会にも顔を出させて頂いた。今年はぜひ作戦級~戦略級のシミュレーションゲームをプレイしたいものである。

就職は、古い友人からは「今年中に就職することを祈念します」といわれて困っているところであるが、まずはとにかく決まった時間に遅刻せずに働くということを大目標において、完全就職は来年以降に持ち込みたい、というのが本音である。とにかく中学生・高校生向きの塾講師(できれば個別指導の)をもう少し一生懸命に探してみようというところであろうか。それが叶わなければコンビニの短時間勤務を想定している。

塾講師になるには、どうも数学がキーとなっているようである。どこの塾も数学講師のタマ数が不足しているみたいなのと、英語のみの講師を希望する際も、採用試験では数学の問題を解くことを求められることがあるからである。まぁ21世紀の人余りの時代において、どうも面接試験がうまくないというのも問題なのかもしれないが。あと、京王・中央線沿線ではあまたの大学に通う大学生という手ごわいライバルがいるので、中央線を山の方まで通うことも考えているのだが、さすがに山梨県の求人案内は東京都に住んでいてはなかなか入手できないものである。それとも山梨ではまだ個別指導教室というものが存在しないのだろうか。あとは八高南線沿線とか青梅・五日市方面も考えているが、やはり情報が入ってこないことには苦しい。

まとめると、数種の外国語の「マスター」とアルバイトを見つけることがとにかく私の今年の目標であるということである。まさかスパルタ・マチダ(ゼルビア)のポポヴィッチ監督が瓦斯に引き抜かれた代わりに、我が清水に初タイトルをもたらしたアルディレス監督が就任したということがここ半月で最も驚いたことである。まぁアルディレス監督には英語で話しかけるなり、ヤジるなり、disるので十分なのだが(実際清水では私はオジーに英語で話しかけたことがある)、ここは一発スペイン語を始めてみようという気になって、数種の外国語にスペイン語が加わったのが自らの中ででも驚きである。

【緩募】人種差別にならない範囲内でアルディレス監督をdisれるスペイン語文、ということで、人任せにせず、自分でスペイン語を勉強してそれを見つけてみよう、というのがスペイン語勉強の大事なモチベーションになることを信じたい。

2005年12月17日 (土)

eラーニング講義に参加してみて思ったこと

 すでに一昨日の記事でお伝えしましたが、私は奈良県にある帝塚山大学で(「で」というのは厳密には間違いなのですが、その理由は一昨日の記事を見れば分かると思います)「eラーニング経済学」という講義のゲスト講師役として参加しました。
 インターネットによる遠隔講義を受けられる同大学が開発したTIES-NETを用いて行われた講義なので、私がわざわざ奈良まで足を運ぶ必要もなく、いつもの半分引きこもっている自分の部屋でネットカメラとマイクロホンセットを用いて奈良のキャンパスにいる教授や学生に話しかけることができるというのだから、インターネット、特にブロードバンドの普及は距離を感じさせなくなりましたね。
 私の役どころは「ニート」として学生たちに自分の社会における敗者ぶりをさらして、せめてこの講義を受けている学生たちをニートにさせないためにはどうあるべきなのかを語るといったところです。
 最も私が正社員から失業し、就職活動をしても不採用通知の連続からニートに堕落した過程は一般的なニート(?!)とはかなり異なるので、自分の体験談を語るというより、ニートに関する数冊の書籍から見いだした典型的ニートの姿を語りつつ、時には学生たちからの質問にも答えるというやり方で講義を進めてもらいました。
 一昨日の教授と交わした事前の打ち合わせではもう少し教授がイニシアチブを握って講義を進めてもらうはずだったのですが、いざ講義が始まるともっと私に話して欲しかったような感じでした。しかし私は大学のような所での教授法はおろか、パブリックスピーチのテクニックも持ち合わせていないので、いつものボソボソとした話し方で、一昨日の深夜から徹夜で書き上げ、当日の朝9時にギリギリで提出した講義用の参考資料をただ読んで、時々自分がニートについて知っていることを交えて話すというやり方を採りました。ということで、学生たちにとってはそれまで2回あったゲスト講師による講義とは比較にならないくらい情けないゲスト講師だな、と感じられたのではないでしょうか。
 夜になって、大学から講義のビデオをメールで送られてきました。確認がてら見てみると、やはり自分のボソボソとした声が非常に気になりました。この話し方ではどこの会社で面接を受けても落ちるわけだな、と妙な納得をしてしまいました。しかし、この講義中は日常で話しているような小声でではなく、公衆に向かって話しかけているのだからそれなりに気の張った話し方をしたつもりなのですが、それでもボソボソとしか聞こえないのだから、声帯やらのどの作りに問題があるのでしょうね。
 そういう意味でも満足できない講義でしたが、まさかそれを持って非公開にしてもらうわけにいかないので、大学には「公開OK」の返答を返しておきました。
 やはり他人に対して話しかけるということはひとつの技能ではないでしょうか。声がボソボソしているというのは声変わりをしたころまでさかのぼるから、何に恨みを持てばいいのかとでもいうところでしょうが、そのほかにも他人に好感を持ってもらうような話し方を身につける機会を持つことができなかったのが人生痛恨の極みとでもいうところでしょうか。

2005年11月 9日 (水)

ブログに飽きたのだろうか……

 う~ん、もうブログに飽きてしまったのだろうか……。前回の更新が10月8日、ということは丸1ヶ月更新していないわけだなぁ。そういえば、10月は生活全体がものぐさになっていたよなぁ。いつも通っている医者にも1回も行かなかったし、車でどこかにドライブなんてこともしなかったし、旧友に電話をかけて話し込むこともなかった。それより大事なことは、9月末に申し込んだ通信教育の英語講座の費用を振り込みに町に出なければいけなかったのを完全にさぼっている。
 だからといって、ブログネタが全くなかったわけではない。ネタは時々はあったけど、10月のものぐさムードに飲み込まれて、キーボードに向かって何かを考えるというのがとても面倒な感じになっていた。
 だからといって全く外出しなかったわけではない。ポリグロットというほとんど個人経営の語学学校で開いた「ロマンス言語学・超入門」というフランス語からポルトガル語までごった煮にしてそれぞれの特徴を共通点と相違点を通して説明しようという、なかなかおもしろい講座を聴きに新宿御苑まで足を運んだりもした。
 ニート生活の単調さから抜け出るために立ち上げたブログを書くのがおっくうになるほどものぐさになる生活っていったい何なのだろう。

 このところの1日の生活といえば、朝起きてNHKラジオ第2放送の語学番組を聞いて、7時半になったらTVK(テレビ神奈川)の"Saku Saku"を見、それが終わると、またラジオに戻って、今度は語学講座のタイマー録音が動いているかを確認して、時には録音しながら聴いている。それが終わるのが8時40分で、それからは何だかやるべきことはいろいろあるはずなんだけど、本を読んだり音楽を聴いたりしながら時間をつぶしてしまう。昼寝することも結構あるしね。そして午後5時に二回目の語学講座のタイマー録音が終わると、合計四講座(スペイン語中国語ハングルロシア語)をマスターのカセットからそれぞれの講座単独のMDにダビングする。これが倍速ダビングみたいなことができないから、それに80分かけてしまう。夕食を食べ終わると、10時半からまたまたNHKラジオ第2放送の語学番組(途中、英語ニュースあり)を聞いて11時55分から5分間はNHK教育テレビのインドネシア語講座(というほど大げさなものでもないけど)を見て、深夜0時5分から再びTVKの“SakuX2”を見て(一日に二度見るほどの番組かよ、との陰の声あり)、それが終わると大抵は眠くなって、ベッドに入ることが多い。

 こうなると、生活が単調だからものぐさになるのか、ものぐさだから生活が単調なのかという、タマゴが先かニワトリが先か論争のような水掛け論になるんだけど、とにかく確かなのは一日が「サクサク」にはじまり「サクサク」に終わる生活で、間が何やっているのだかわからない生活をしているということ。
 だから、「サクサク」のない土・日は少し寂しいかな、という気さえするようになった。まぁ日曜は『ちびまる子ちゃん』があるからいいのだけど。
 本当は10月は通信教育の英語講座を含めて、語学の勉強漬けの毎日だったはずなのだけど、英語講座の費用が払えないことと、NHK語学講座の勉強をおろそかにしていたのとで、生活が単調になったのかなぁ。でも、ものぐさだからラジオ語学講座の勉強をおざなりにしていたわけだし、やっぱり前者なのか後者なのかは水掛け論だな。

 まぁ、ブログはこれからきちんと更新するようにしよう。

2005年10月 8日 (土)

この1ヶ月を振り返って

 この1ヶ月近い間、「座敷牢から風の祈り」ブログが更新されていないので、ご心配になった方、順調にタイ語の勉強が進んでいるんだなと思われた方、そのほかの方々がいらっしゃると思います。
 確かにこの1ヶ月近い間はタイ語の勉強を中心に生活していたようなものですが、決して順調に進んでいたわけではなく、常にスランプとの戦いの中で勉強していたようなものでして、それが原因でブログの更新まで頭が回らなかったというのが実情です。

 順調に勉強を進めていれば、先月中には予定していた勉強がすべて終わったはずなのですが、常に勉強方法を間違えているのかな、という疑問との戦いの中で勉強を進めており、いまだに習った分のタイ語を身につけたという実感がわきません。本来、初級タイ語として習った分のタイ語の基礎は決して難しいわけではありません。しかし、文字から身につけるという勉強法が正しいのか、疑問と面倒くささの中で過ごしていたわけでして、1日に1課も進まない日が続き、気がつくと神無月を迎えてしまった次第です。
 テキストに添付されているCDを使った音読を先にして、タイ語の音から身につける方が正しかったのか、という疑問は今でも持ち続けているわけです。最近は英語でも何語でも「音読」が重視されるようになってきているのでなおさらです。
 では何で私が音からでなく文字から入ったのかというと、中学時代に英語を習ったころからの惰性ではないか、という気がします。それで英語はできないかと問われればいやまぁできるだろう(でもできるかと問われると、それほどではないなぁ)と答えられる程度の自信はついたわけで、それをタイ語に適用してみたわけです。
 しかし、英語は3年掛かって基礎英語(同名のラジオ番組がありますが、それとは関係がありません)を身につけるという時間的前提があってあのようなゆっくりとしたペースで勉強できたわけで、1ヶ月少しで基礎的なタイ語を会得したいと思っている人間が英語と同じ方法で勉強していいはずがないのかな、とは今でも思い続けています。でも始めたやり方を途中で放棄するのもまずいかな、という一心で今でも慢性スランプにかかりながらもタイ語の文を書くというやり方で続けている次第です。

 ほかには、タイ語の勉強が済んでいるという前提で英語の通信教育講座の受講を申し込んだのですが、銀行振り込みでお金を納めなければならず、東京三菱銀行(来年にはまた名前が変わるそうですね)の支店がこの座敷牢からバスで20分もかかる繁華街に出ないとなく、申し込んでから1週間以上過ぎたにもかかわらず、肝心の受講料を納めていないので始めていないという体たらくです。大体バスの運賃って高いよね。たった4キロちょっと運ぶのに230円も取るのだから。電車ならJRか私鉄かにもよるけど、大体150円程度で済むのにねぇ。
 それから座敷牢でいすに座っている生活が続いている関係でどうも脱肛を患ってしまったみたいで、用を足すたびに不快な気分にさせられます。時々は手で○門の中に突っ込む(突っ込んだ後は手を石けんで非常に丁寧に洗っていますので、不潔だと思わないで下さい)のですが、やはり座っているか寝ている生活が続く以上、どうもすぐに元に戻ってしまいます。いすに座っている生活といえば、清水で仕事をしていたときもそうだったのですが、当時は20代の若さ故だったからなのか、たびたび仕事をさぼって立ち上がっていたからなのか、全然その気はなかったのですが……。
 あとは、先月までは神経障害の一種ということで無料で受診・投薬を受けられたADD(Adicted Deficit Disability=注意欠陥障害;興味と関心のある方はググって下さい)の治療がある事情で今月から5%負担ということになり、今まで無料ということで大量に投薬を受けていたのを改めなければならなくなりました。そこで主治医に出向かなければいけないのですが、それこそ往復で千円以上もかかってしまう(しかも下手をすると時々特急料金を取る特急を使って行くものだから、そうすると1500円はかかる)し、時間も片道で1時間かかるという面倒くささ故にいまだ行かずじまい。しかも今日から世の中は3連休。さて連休明けに行けますでしょうか。

2005年9月 3日 (土)

タイ語集中講座の復習に疲れて

 タイ語の集中講座が終わって今日で1週間たちました。はた目には「もうタイ語なんてバリバリじゃん」みたいな印象を与えそうですが、9月の声を聞いてから復習のペースが目に見えて落ち、今日になっても講義の6割程度の文法しか復習が終わっていません。その上、文法が終わっても単語・文章の暗記が終わらない限り、本当にテキストを1冊上げたとは言えない訳です。
 ところが今日はこの座敷牢で電気工事があり、このくそ暑い中でエアコンが使えない状態になり、ついにやる気を切らしてしまった感があります。果たしてエアコンが使えない状態でどのように振る舞ったかというと、市立中央図書館に避難するという行動に出ました。いや、実は図書館であるタイ語の大辞典を探すという計画は集中講座が終わってからずっと暖めていたことで、それが結果として避暑になってしまったということです。残念ながら私が探していたM社の大辞典はこの町の中央図書館にはありませんでしたが、別の大辞典が2冊置いてありました。使えるかどうかは分かりませんが、その大辞典を利用してみようか、それとも隣町の図書館(協定で相互利用ができることになっています)で探してみようかな。
 それはそうと、勉強をやる気が切れてしまったというのはかなり痛い状況で、一刻も早くやる気を取り戻さないと、今までタイ語を習ってきたことの三の舞になってしまいます。自分でもそれはある程度自覚しているのですが、切れたやる気を戻す方法などというのは私のない知恵の中にはありません。私の大学時代の友人というのは(遊ぶときは羽目を外して遊ぶけど)基本的にまじめなやつばかりで、といっても石部金吉な訳ではなく、皆さん勉強をこつこつできるタイプがほとんどだったように覚えています。しかし私には元来、こつこつ勉強するという行動がプログラムに入っておらず、大学に受かったのも火事場のくそ力のおかげだったので、こつこつ復習し、こつこつ暗記すべき今、どうするべきかが思いつきません。
 やる気を取り戻すまでほっておくというのもひとつの手ですが、それではもう忘れかけている講義の内容を完全に忘れてしまうという問題が生じます。おまけに今日は図書館でスペイン語・ポルトガル語・オランダ語の本を借りてくるという始末。何かタイ語ってそんなにどうでもいい存在だったのかなぁ、と考えてしまいます。
 おまけにタイ語の復習を始めてからずっと精神的な疲労感がただよい続ける状態で、先日ドラッグストアに買い物に行ったとき、栄養ドリンクでも買い込もうかという気持ちが頭をよぎりました。今だって近くのコンビニに行って栄養ドリンクを買うこともできるのですが、その近くに出るのがつらい状況です。
 もう少し起きていて、どうしようもなく疲れが残るようなら今日は我慢して休息を取るのがいいのでしょう。披露が我慢できる程度だったら、なんとか気合いを入れて少しでもタイ語の復習をするつもりです。

2005年7月 4日 (月)

アンチ・バベルの塔の構築への決意

 ことはk.y.様に、アンチ・バベルの塔の構築ペースが分からない、といって泣き言コメントを氏のブログに書いたのがきっかけです。それは以下のものです。

 単純な質問ですが、どうしてk.y.様はアンチ・バベルの塔の構築に多大な時間を掛けていて、その上毎日ブログを更新できて、さらに余暇の時間まで得られるのでしょうか。
 もう一つうかがいたいのは、私は辞書の1ページを書き写すのに2時間以上かかってしまうので、有為なページ数を書き写そうとすると1日のほとんどをアンチ・バベルの塔の構築に費やしてしまいます。どうか迷える子羊にご助言を下さいませ。

 これにk.y.様は自分の特殊事情でありながらと暗示しつつ、自らは午前の5時間で6ページ、平均60語を写している(ただし、手書きや入力ではなく、ハードディスクに取り込んだ英英辞書をコピー&ペーストするだけだそうですが)とのことをご回答下さいました。

 そして午後が仕事の翻訳、夕方にエクササイズを行って、夜は余暇時間としており、ブログは朝でも昼でも夜でも気が向いたときに書いているそうです。本人いわく『これも脳運動の一環』だそうです。

 私は本当は夜型の方が集中できるのですが、いろいろ昼にやらなければならないことも多々あるので、昼型になったと仮定して、こんな計画を立ててみました。

 朝7時起床。9時~12時簿記の勉強。13時~0時アンチ・バベルの塔の構築(休憩・夕食などのブレーク2時間を繰り込んで9時間)。0時~1時ブログ執筆。深夜1時就眠。

 k.y.様は一般論として、『普通の人なら1年間に5000語でしょう。時間にして1日5時間(復習も含む)』と書いてあるので、本当に9時間集中できるのならば、1年間で1万語を覚えられることになります。

 なお改めて自分の使用辞書と収録語数を列挙します。
英語:ジーニアス英和辞典第3版【語数】12,000語
ドイツ語:パスポート独和辞典第2版【語数】15,000語
中国語:はじめての中国語学習辞典【語数】10,000語
ロシア語:パスポート初級露和辞典【語数】 7,000語
スペイン語:パスポート初級スペイン語辞典【語数】 8,800語
                     合計 52,800語

注;ジーニアス英和辞典第3版が【語数】12,000語というのは、当該辞書が重要単語としてマークを付けた見出し語のことです。ジーニアスの総収録語数は95,000語句に上ります。ジーニアス英和辞典の名誉のために付け加えておきます(7月6日追加)。

 これからすると、1年間で1万語を覚えても、総計の五分の一に過ぎないわけです。多言語のアンチ・バベルの塔の構築を目指す、という身の程知らずなことに手を出した報いというわけでしょうか。しかも、1年以上先の話になると、翻訳で食べてゆくという生き方を選択しない限り、就職することになるであろうから、ペースはドンと鈍ってくることは間違いないわけです。

 なお、現時点の話に戻りますが、今は5言語手を出しているわけですから、これを平日の曜日ごとに分けて、土日は復習のみ(または平日に外出して、アンチ・バベルの塔の構築ができなかった日の予備日)に当てるという選択を計画中です。
 具体的には、月~金を英・中・西・露・独に割り振る訳です。ただし、今月の中旬にスペイン語の初級文法集中講座を受講するので、7・8月はスペイン語のアンチ・バベルの塔の構築を重点的に行おうかとも思っています(例:英・中/西・西・西・西/独・復習露中心・復習そのほか)。

 問題なのが、遅筆の私が1時間でブログの記事を書き上げることができるかどうかということです。しかも私のこのブログはノンジャンルが売り物でして、テーマを決めることから始めなければいけないのです。

 しかし、もう乗りかかった船ですから、こぎ出さないといけませんよね。計画はあくまで計画としつつも、1日9時間(実働)作業を欠かさない(いや、やぼ用で欠かすことはよくあるが、それも予備日でうまく穴埋めできるようにする)ことが塔を築く大事な所なんですよね。

2005年6月20日 (月)

土曜日の出来事―今更―

 先週の土曜日(といってもおとといのことだが)、大学の図書館に行きました。実は4月末ころに借りていた本の返却を1ヶ月以上忘れてしまったのです。ちなみに本のタイトルは『戦略論(B・H・リデル・ハート著)』『国際政治(F・シューマン著)』です。どちらの本も私が現役の大学生のころにはよく借りられていた形跡が見られますが、その後は忘れられた書籍という扱いになっていたようです。

 そもそも大学OBが大学図書館を利用できるということを知ったのが、この座敷牢に閉じこめられた去年の春のことで、おいおい、私は大学を卒業してから12年もその事実を知らされなかったのかね。まぁ最初の6年は清水に帰っていたからしょうがないとしても、その次の6年は神奈川に住んでいたんですよ。まぁ過ぎたことはしょうがない。
 大学図書館サイドも本の未返却に業を煮やしていたらしく、返却遅れにはある罰則が適用されるようになりました。というのは、例えば3日間返却が遅れたら、返却日から3日間は新しく本を借りられない、というペナルティーです。それで恐る恐る私はいつまで罰則に当てはまるのか、と司書に尋ねたところ、7月18日からOKです、とのこと。つまり私はまるまる1ヶ月本を抱え込んでいたことになります。ちなみに7月は私の出た大学では前期試験の時期で、23日までは卒業生に対しては本の貸し出しが停止されることになっており、実質6週間の貸し出し禁止処分を食らったことになります。

 私が大学に行く、というのは二つしか用事がなくて、図書館に行くというのと、購買会に本や文具を買いに行くだけ(まれに学食で軽い食事を取ることがある)なので、土曜日もその例にもれず、購買会に本を物色しに行きました。一般的な大学では、売店や学食は生協が扱っているので、生協の会員でない外部者に対しては定価販売をするものらしいのですが、私のところの大学は大学が会社を持って、そこに学食やら購買会やらの業務を委託しているので、誰が購買や学食に行っても市価より割引価格で売ってくれるのです。
 今月も18日になり、NHKラジオの英語講座各番組テキストおよび中国語と(最近ほとんど惰性で聴いている)スペイン語のテキストが出回るころとなりました。書籍は一律1割引なので、NHKラジオの語学講座各番組のテキストを結構まとめ買いしても、割引額は100いくら。それにこの日に備えて(?)買わずにおいた『中国語ジャーナル(アルク)』『聴く中国語(日中通信社)』、それに特に急な入り用ではないけど、目星を付けておいた『国際紛争[原書第5版](ジョセフ・ナイ著、有斐閣刊)』とだいぶ古い本ではありますが、『現代政治学叢書19世界システム(田中明彦著、東京大学出版会刊)』をピックアップしてレジへ向かった。いくらでもお金が出てくる魔法の財布を持っていれば、せめて辞書類をあと2・3冊は買ったろうに、と後ろ髪を引かれながら。それだけいろいろ買ったものだから、購買会の1割引を利かせても八千円を超える買い物になってしまいました。まともに本屋で買っていたら九千円超の大買い物だったんですね。

 さて、購入した本の中で「急用ではないが気にしていた」本というのはどういうことかというと、『国際紛争[原書第5版]』は、最初に日本で翻訳されていた原書第3版は持っているのだが、毎年第4版→第5版とバージョンアップしてくるものだから、第3版と第5版でどう違うのかはわかりませんが、やはり最新刊が欲しい、ということで2年我慢して買ったわけです。『世界システム』の方は、実は先に述べた『国際紛争』の訳者の一人である、田中明彦東大教授の出世作ともいうべき作品で、後に『新しい中世(日本経済新聞社刊、1996文庫版は2003)』という(恐らく)同教授にとっての代表作の下敷きになっているという評判の著作です。

 まぁ滞納していた図書も返却し、本の買い物も済ませたら、さっさと座敷牢に戻るのが知恵というもので、そのまま帰宅し、本棚をちょっといじって買った本を詰め、なぜか疲れたのか、そのまま日曜日の昼まで寝込んでしまいましたとさ。

2005年6月17日 (金)

我が後半生を現実視する

 さて昨日は我が後半生を勝手に夢見ましたが、学問の世界にこの年で飛び込むのはサメのえさ場に飛び込むダイバーのようなもので、自分の人生を棒に振る気か、と高笑いされるのがオチでしょう(心配してくれる、と言えないのがつらい)。
 だから私としてももう少し現実味のある将来像を計画しているところなのですが。私がニートの地位に落ち込む前のキャリアは通関業でした。しかし、通関業で本格的にキャリアを築くには「通関士」という資格が必要です。この資格はれっきとした国家資格で、通関業者には必ず一人以上の通関士を配置することが法で義務づけられています。私が通関のキャリアを始めたころ、この通関士という資格は通関業者にしか知られていないマイナーな資格でした。資格を取るには国家試験に合格する必要がありますが、当時は通関の職に就いている社員が嫌々受けていた側面が強かったものです。
 しかし、不況が長引く中、学生の就職が困難になり、彼らは在学中に何か一つでも資格を取っておこうという気運が高まり、比較的受験しやすい(合格しやすい、とは意味が別ですが)通関士の資格に目を向けるようになりました。そのために受験者がうなぎ上りに増え、合格率もそれまでの20%程度から、一割台に落ち込みました。こうなると、実務に強いとはいえ、受験勉強から長いこと遠ざかっている会社員より、現役の学生の方が試験に有利になり、今世紀に入ると、試験形態の変更で学生有利の構造が定着しました。通関士という資格は今や、通関業に従事している社員が獲得するというよりは、これから就職活動に望む学生が持っているもの、という雰囲気になりました。
 こうなると、最後に受験勉強をしたのがもう人生半分さかのぼるような私が無駄な努力をしても高望みというのが実情です。
 そこで、もはやこの年で普通に就職活動をしてもどこも門戸を閉じている、という現状では、別のキャリアに切り替えよう、と考えるに至ったわけです。私の適性検査では、強みは「知識」と「数的処理能力」で、弱みは動作性能力全般と「暗唱」「理解」と出ています。通関士という資格は法律の理解能力を問う資格ですから、弱みにもろにかぶってしまうので苦手意識が醸成されたのだと理解し、強みを生かす資格を目指そうという方向に転換することにしました。しかし私の「知識」とは雑多なトリビア的知識で、こんなものは現代ではインターネットに接続したパソコンのポータルサイト(例えば"Google"とか"Yahoo!"など)に任せておけばいいもので、そうすると残りは「数的処理能力」があるのみです。
 ここから、かなり安直ですが導き出した答えが、簿記会計に関する資格を手にして、それを武器に就職活動に励む、というものです。5月14日の記事にも書いたのですが、簿記会計の資格といっても、税理士や公認会計士の資格は通関士同様に、というかそれ以上に法律の理解力を問われる資格です。そこで社会に認められ、法律的知識をあまり必要としない資格として、日商簿記にターゲットを定めたわけです。

 4月にそう決めておけば先週の日曜日に行われた日商簿記の試験を受けられたのですが、決心したのが今の年齢になってしまった5月なので、初心者からの簿記・会計に関する講習はおおむね始まっていたので、次善三善の策を考えることにしました。まだ開講されていなかったそのような講座を探して、手始めに簿記・会計とはどのようなものであるか、を習いました。その講座は座学で、講師の話を聞くだけだったのですが、その講師曰く、「簿記を理解するには、一般書店で売っている簿記の試験問題集でなるべく薄めのやつを、どうせ何も理解できないはずだから、まずは答えを見ながら写経のように問題集の穴を埋めていくと理解が早い」とのことでした。50問写した人より100問写した人の方が絶対に理解が深い、とまでいっていたのが印象的でした。それではまずは日商簿記3級の問題集から手を付けるのがいいでしょうか。
 実は私のプランとしては、この講習のあとに某大手会計事務所が行っている簿記・会計の基礎を学ぶ通信講座を受ける予定だったのですが、先の話を聞いてどうしようか検討中、というところです。というのは、私は趣味の語学にしても、マスターすることなくかじるだけで満足してしまう(いや、満足はしていませんが)性格なので、通信講座を全うできる意志の強さがあるか、という問題があるからです。まぁしかしそのくらい続けられる程度の意志力がなければ何事もマスターし得ない、と思えば「善は急げ」で、早速その通信講座に申し込むのが手ではないかと。この「さびぬき」さんという人のようにブログに勉強記録を書き記すという方法で意志の弱さを補うという方法もあるかなぁ。でも、このブログはよろずブログなんで、勉強記録に特化したくはないなぁ。
 それは置いておいて、それが片付いたら(または片付かなくても)、我が故郷静岡の通信教育大手某社でやっている、簿記2級講座を受けて(これも通信教育だなぁ)、11月の試験に備える、という手はずで、まぁアクシデントがなければ平成17年が終わるころには日商簿記2級ホルダーということになっているはずで、そこから本格的な求職活動に入るつもりです。問題は、通関の仕事と反対に、資格はあるが実務経験がないということです。果たして年齢の兼ね合いもあり、それで就職できるのかという疑問が頭をもたげてくるわけです。しかし今のままでは何も強みがないままにやみくもに求人している会社に応募して玉砕するのみ(しかも、私の年齢上、求人企業も非常に少なくなっているのが現状)で未来の展望がないので、何とかこの勉強に我が人生を賭けることになります。

 また、別のキャリアプランもあります。お金と時間と能力が許せば、の話なのですが、趣味の語学を何か一つか二つ、え~かげんにきちんと勉強して、翻訳の仕事に就きたいという希望も持っております。これはきちんとしたプランを立てているわけではないので、長々と述べるつもりはありませんが、問題は能力的に翻訳の仕事を始められても、私は私を知るものすべてから言われるほどの営業下手なもので、個人事業主たる翻訳業はどうかな、とちゅうちょしています。

 こうやって活字にしてみると、昨日の妄想とどこが違うのか、と突っ込まれそうなのですが、まぁ学問の世界に入るにはポストの絶対数が少ない、という問題があるのに比べて、簿記・会計の仕事ならば、資格さえ手にすれば食いっぱぐれはない(はず)という利点があるだけでも現実的かと考えることにします。

 ただ学問は学問で、男子一生の仕事としてではなく、趣味の延長たる研究活動で楽しめたらいいな、という希望は持っており、できれば就職して自分の足がかりをきちんと立てられたら、国際政治専攻の夜間大学院に通って、最低限学問の足がかりをつかめる希望は捨てずに持ち続けるつもりです。

2005年6月16日 (木)

我が後半生を夢想する

 私の年齢も今何月であるかも無視して自分の望むままのことを書く。
 私は学者になりたい。専攻は軍事科学・戦略学・地政学・安全保障学のいずれかなら構わない(というか、それが絞り切れていないところが、実際に学者への足がかりを踏み出せない理由なのですが)。どれもこれから自分の足で立ち上がろうとする日本にとって無視できない学問だから、と自分では考えているからです。
 まぁ、とにかくこじつけでも何でも自分の専門分野を仮に決めて(いったん学問の道に入れば分野の垣根をまたいで―さすがに政治学から経済学へというのは不可能ですが―業績を作るのは特別難しいことではないからです)、来年ないし再来年に大学院のマスターコースに入学する。もちろんドクターコースへの進学は必須です。そうすると修了または単位取得満期退学まで5年。それから標準的に浪人生活を送ると5年から10年。普通は非常勤講師から常勤の講師になるものです。でも私の年齢だと、日本では即座に助教授になるくらいの業績を上げておかないと浪人生活から脱却する道はないでしょう。アメリカ合衆国では良くも悪くも実績主義で、40過ぎの"Lecturer"が必死に業績を作って準教授、あるいは教授への道をうかがい、テニュア(終身雇用権)を得ようとする人もいるけれども、日本ではその辺、いかに大学改革がされつつあるとはいえ、年功序列型で秩序が保たれています。だから40代で講師というと、語学の先生くらいしか見あたりませんでしょうか。でもここではそれを意識的に無視します。
 そうしていったん大学教員になったとしますが、ここで気を抜いてはいけません。雇われてから5年くらいのうちに数々の雑用をこなしつつ、できるだけ多くの業績を作らなければいけません。なお、業績というのは一般に目にできる雑誌記事や書籍を書くことではなく、学会の年報・大学の紀要の論文、書籍でいうなら専門書のみが業績として扱われるものです。かえって前者の「お金になる」仕事に手を染め出すと、業績からは遠ざかるのが日本の、いやこれに関しては世界のと言っていいかな、実態です。
 逆に自分に研究したいことがいっぱいあるならここぞ好機と思って、いくらでも論文を書くのが良いでしょう。ただアメリカでは優秀な学者のマスターピースな論文をありがたがって、その著者を一流のシンクタンクや政界に引っ張るという現象がありますが、日本では学者は学会、政界は政治家、というすみ分けがされているのが現実です(優劣を論じたものではありませんが、私のように政策志向の学問を志しているものから見ると、アメリカ式の方がモチベーションが高くなるかもしれません)。
 そうして業績を上げたと大学の先輩教授陣に認められるとまぁ40代の後半になって、遅い人は50代に入ってしまうのでしょうか、大抵はどこかの教授に収まり、定年(一般の会社より10年ほど遅く設定されています)まで教授先生、とあがめられるというのが日本の学者すごろくです。その学者すごろくの振り出しに、人より15年は遅れたけれども、立ってみたいというのが我が夢想であり、実はそれにこだわってきたためにこの年齢までの自分の人生を棒に振ってきた、という現実もあるのです。

 私にはさらに野望があって、今の日本には存在しない、軍事科学・安全保障学の専攻の学部をどこかの大学に創設したいという願いがあります。モデルはどうしても(私が英語以外の外国語を読めないために)英米になってしまうのですが、ヨーロッパには数は少ないものの広く存在するものだそうです。イギリスでいえばキングスカレッジ戦争研究学部(学部・大学院)が、アメリカでいえば有名どころの安全保障学の大学院よりも、AMUという、ウェブサイトを見た限りではディスタント・ラーニング(通信教育、ただしこの大学はe-Learningの制度を取り入れているようです)専門の大学・大学院なのでしょうか、あまり聞いたことのないところではありますが、まぁこのあたりがモデルになるような学部・専攻科で、軍事・安全保障に興味のある、まぁ最初のうちは軍事オタクや右翼っぽい人たちだけでもいいではないですか、学生を集めて専門の教育を施したい、と夢想しているのです。
 英米と一緒くたにまとめましたが、実はイギリスとアメリカ合衆国では高等教育の制度ががらりと違い、単に足して2で割るというわけにはいかない(でもそれをしているのが今の日本の高等教育制度である、と私は考えますが)ので、英米どちら寄りにするのか、あるいは大陸ヨーロッパの制度を取り入れるのか(フランスの高等専門学校は、年齢でいえば大学学部に相当するが、卒業生が政財界や軍隊のエリートコースに入るので、実質的には大学院相当と考えてもいいでしょう。もちろん一般の大学院というのもあります)、その基本的な大計は決めておかなければならないでしょう。
 夢想するだけでいいなら、今からでも形だけは組むことはできますが、それでは現実味が全くあるまい。やはり自らがそういう専攻の学者になって、同志を集めて、どこかの大学に要望を出す、というのが(これにしても夢想に近いけれども)第一歩なのでしょう。

追伸 大学に軍事・安全保障専攻の学部・学科がないと本文では書きましたが、実は安全保障専攻の大学院のマスターコースならば、10年くらい前にできた防衛大学校の専攻科と、今年創設された拓殖大学の国際協力学研究科安全保障専攻というのがあります。後者は一般の大学院同様に学生を受け入れていますが、防衛大学校の方は、マスコミ関係者や政府・自衛隊関係者を組織から学生を募っている閉鎖的な組織になっています。どちらにしても、両大学院の学生はどのようなバックグラウンドを持った人なのかが知りたいところです。

2005年6月14日 (火)

俺はニートだ!

 プロフィールにも記しましたが、私はニートである。ただ政府の定義(15歳から34歳のうち、就職の意思がない人と意思があっても求職活動をしていない人を合わせた者で現在、日本には52万人いるとされている)によると、ニートの基準からは外れることになります。年齢のせいだからです。私の年齢については5月14日の記事を見てください。
 政府がなぜこのような定義を決めたのかというと、現34歳以下のことを団塊ジュニアと称して、人口の一大構成層をなしているからではないでしょうか。またうがった見方をすれば、求人で企業が求めているのは35歳以下なので、それより上の年齢の者はほかの定義ではニートに当てはまっても、もはや役立たずとして切り捨てているのかもしれない。つまり一種の高齢者だ。
 Not in Education, Employment, and Training(NEET、ニートの原語)から抜け出ようと、近所にある大学院に通学する話も親としました。つい最近までは職安やしごとセンターに通って職探しもしました。"Training"を受けるために、自分で探して大学のオープンスクールに通ったり、専門学校に通うか、あるいは通信教育を受けるかも検討中です。
 話は変わって本物のニートの話。企業側は昨今の好景気、または2007年問題と呼ばれる団塊世代が大量に退職する可能性を想定して、新卒の採用を増やす(可能性が高い)と新聞などにアナウンスしています。しかしそこには落とし穴があって、企業側が求める能力を持った(実際には協調性が豊かな、という意味であろう)人材が得られないのであれば必要な人数がそろわなくても採用を打ち切る、とも一部のメディアには報じられています。
 そこで問題。果たして企業は採用を増やして、新しく発生するニートの源を減らすでしょうか。私は絶対にそういうことにはならないと断言します。現時点でさえ、リストラで人数が減った部署に人が減る前と同じだけの仕事を割り振っておいて、サービス残業・深夜残業でこれをカバーしてきた企業側にそのようなことをいわれて信じるバカがどこにいますか。団塊世代が大量に退職する、といわれる問題にしても、企業は今まで長い間働いてきた人材を、海のものとも山のものともつかぬ新人に切り替えるでしょうか。もちろん今まではそうしてきたわけだから、2007年問題が起きるといわれているのですが、不吉な予言を一つ。企業の社長などに人気の高い作家である堺屋太一氏が、「団塊の世代は不可能を可能にしてきた」といい、さまざまな例を挙げていますが、将来の予言として、この2007年問題をも彼らはクリアしてしまうと、つまり定年延長や再雇用、そのほかの方法で退職から逃れると予言しているのです。
 我々ニートの側では全力を挙げてこれを阻止しなければならないのですが、数々の予言をあて、名言を生み、財界に大きな影響力のある堺屋氏の台詞なだけに、そんな世の中を生み出してしまうのを見越しているのでしょうか。しかし現役のニート、あるいは私のようなニートOBにとっては、少しでも日本の会社の中に自分の居場所をつくる必要があります。その居場所とは、主に現在は団塊世代が会社の中で占拠しているのです。
 そもそも日本の会社はコスト削減のために最低限、あるいは仕事上必要な人数から見て少ないと思われる人数で仕事を回しています。これが欧米では、有給休暇などで人数が足らなくなることを想定してあらかじめ、仕事を回すのに必要な人数より多くの人員を配置しておくのが一般的とされています。さらにオランダでは、一部必要な人数の二倍の人員を配置しておいて、午前と午後で人を使い分けるといった、いわゆる「ワークシェアリング」が行われており、日本でもこれを取り入れてはどうか、といった主張が2~3年前にはありました。最もその主張をしていたのが左翼系の学者が主体であったために、政策には何ら影響を与えずにメディアから消えていきました。
 しかしわざわざワークシェアリングまで行わなくても、現在行われているすべての残業(サービス残業はもちろんのこと法定内で容認されているすべての)を解消する、と仮定すれば、今存在する52万のニートはともかく、それよりはるかに数の多い、仕方なくフリーターで糊口(ここう)をしのいでいる者も、即座に正社員として吸収される計算になる、との意見もあります。問題はサービス残業を取り締まるべき日本の労働基準監督官がほとんど機能していないことです。日本の法律は経済犯罪に甘いとは、自らも起業家である、軍事ジャーナリストの清谷信一氏の台詞ですが、経済犯罪を監視する部署がまともに機能していないのでは、むべなるかな、といわざるを得ないのですが、自らもそのことに苦しめられた過去があるので、納得している場合ではありません。
 社会の側も手をこまねいているわけではありません。フリーターという低賃金労働力、ニートという非労働力の存在を甘受しては、さまざまな社会制度が維持できないからです。フリーターやニートの問題が協調性の問題というのなら、我々のコミュニケーション能力を高めるセミナーなどが職安などで開催されています。最も私も含めてフリーターやニート個人に対してその情報がなかなか届かないという問題があります。政府も有識者を集めて対策会議を開いています。しかしこれも隔靴掻痒の感は否めません。
 さて、ニートとしては何をすべきなのでしょうか。現在求職をあきらめているとはいえ、全員が求めているわけではないとはいえ、ほとんどのニートは職に就くことを求めているはずです。ただ、会社が求めている技能と経験を我々は持ち合わせていないが故に、求職活動をあきらめているのに過ぎません。我々ニートが会社で働く協調性や営業能力を持ち合わせていないというのであれば、一人で働ける仕事を探して、その仕事に就く努力をするのがいいのでしょうか。それとも自分探しのために大学に(再)入学して2年ないし4年間を過ごしてみるのがいいのでしょうか(ちなみに大学院でもいいのですが、大学院の入試で自分探しのそぶりをちらりとでも見せると、大学関係者は露骨にいやがるので注意してください)。それとも極論になりますが、ニート52万人を核に、150万を超す若年失業者、数百万のフリーターを併せて政治団体、あるいは圧力団体をつくるのがいいのでしょうか。
 簡単に結論が出る問題ではありませんが、ブログ「労働、社会問題」では、新卒者をニートやフリーターにせずに職を与えるにはどれだけの労働需要が必要かを算出してあります。これによると、現在の求人量では、到底若年失業者の発生を食い止められないどころか、少子化といわれる現在15歳以下の世代でさえも、18歳、20歳、ないし22歳の選択では失業者とならざるを得ない層が現れるということです。
 となるとマクロの対策では需要の喚起、ということになるのですが、ミクロの対策では各個人が弱肉強食の世の中で自らの選択を間違えずに職に就く、就職したら石にしがみついてでもその会社を辞めない、というごく普通の結論に落ち着くことになります。

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