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2005年8月

2005年8月31日 (水)

5日間でCDエクスプレスタイ語を上げてみて

 え~、先週の土曜日に嵐のような5日間を終えました。いくら100ページちょっとで、発音と文字を別にして20課構成の薄い語学テキストとはいえ、本当に5日間・30時間で一通り教わることができるものなのですね。もちろん主任講師がこの本の著者であるというメリットはありますが、この早さには驚き以外の何ものでもありません。タイ文字の読み方も不完全ながら何とか覚えましたし、一応初級文法を片づけた訳ですし(CDエクスプレスシリーズは出来不出来の差が激しいのですが―言語によって「初級文法」の範囲の広い狭いがあるという理由で―、その点タイ語は1冊で一通り初級文法をまとめてあるそうです)、特に単語の点で(過去に習った分の)リハビリができたような感じがしました。

 先週のブログの中では復習をしているようなことを書いていましたが、実際は授業を簡単にまとめただけで、本格的な復習はこれからすることになります。問題は先週が暴風のような日々だっただけに、終わった後に虚脱感が襲って来て、復習しないことになりはしないか、ということです。実際、今そのような感覚にあるような気がするし、復習しようにもノートとテキストの書き込みと、授業直後の簡単な見直しと頭の中に残っている(それもどんどん記憶が薄れつつある)知識だけで復習をして記憶を定着させなければなりません。さもなくば55,000円の授業料と8,000円の交通費が無駄に終わって、「2度あることは3度ある」に陥りかねません。

 そうならないために鋭意復習を始めていますが、忘却曲線とやらにあるように、72時間(3日)を過ぎると一度頭に入れたことの2割しか残らないということです。日曜日に復習を始めるべきだったのですが、先週の嵐のような5日間ですっかり脳と体が疲労困憊(こんぱい)して丸1日休養に充ててしまったので、今更どうこう言っても始まりません。何とかノートやテキストの書き込みはある程度充実しているので、今はそれを元に復習ノートを起こしています。

 以前、何度もトライしては挫折したタイ文字を読むことがだいぶ簡単になってきたのは正直言って高い金を出して集中講義を受けただけのことはある、というところでしょうか。実際そのおかげでノートやテキストを読むのが楽になりました。本当は授業でやった数字の読み方をマスターしていないといけないのですが、それも復習次第ということにします。

 とにかく8月はこのタイ語集中講座のためにあったようなもので、というのは月の前半は私は何でかわからないのですが、まるで気が抜けてアンチバベルの復習や新しいカード作りを熱心にやっていませんでした。そういう意味ではもったいない時間の使い方だなぁ、といつものことながら嘆いています。
 その代わりタイ語講座は充実していました。そのほかにも会場に併設されている留学生会館の外国人(はっきり言ってアジア系だけでしたが)たちとも会話を交わすことができましたし、昼食も留学生会館の食堂でアジア系の食べ物を摂ってもよかったし、会館の向かいに大丸ピーコックがあったので、そこでパンやら弁当やらを買ってきて食べてもよかったし、新宿から千石までの交通機関も心配するほどではなかった(けど、都営新宿線って新宿ではずいぶん深いところを走っているんだなぁ)。最も最後の日に試した講義会場から山手線巣鴨駅まで歩くのも意外に近かったので拍子抜けしましたが。

 とにかく、今月はタイ語がすべてだったので、来月にかかってしまいますが、復習と記憶をしっかりやって、タイ語習得への道を進んでいきたいと思います。
 最も、私の今の計画では来月からは日商簿記のΧ級を取得するべく、そちらの勉強に集中したいと思っているのですが、この分だとタイ語と「アンチ・バベル」と簿記の勉強でごちゃ混ぜになってしまうかもしれませんね。

 もしタイ語をかなり身につけてからタイに移住したとしても、言語以外の技能を持っていないとあちらでも仕事が見つからないという事態に陥りかねませんので、まぁ日本国内用の日商簿記が役に立つかどうかは不明ですが、Booking(簿記)の概念は世界共通なので……、というのは考えが甘いでしょうか。

2005年8月25日 (木)

タイ語集中(講義)・マッハとの戦い

 え~今日は台風11号接近の中、タイ語集中エクスプレス講座第3日がつつがなく行われました。昨日は

>あしたにはきちんと講義についていける、睡魔との戦いに勝てる
>私を皆さんにお見せしましょう

と大言壮語を吐いていたのですが、今日も別の意味で睡魔と戦ってきました。というのは、復習の途中に
「まぁ、少しは仮眠を取っておいたほうがいいだろう。目覚ましラジオもあることだし」
とベッドに入ってしまったのが運の尽き、昨日は15分遅刻で済んだのが今日は45分も遅刻してしまいました。しかも(料金別取りの)特急列車を使って地下鉄との乗換駅まで行ったので、\400の臨時出費です。財布素寒貧の私が果たして展望席なんかに乗ってタイ語講座に通っていいのだろうか、と自問しつつ、でも今日はもう台風の影響で大雨だったので、展望席に陣取ってもあまり前が見えず、しかもテーブルにはタイ語のルーズリーフのファイルが置かれていて、列車の前景も見えない、タイ語の予習・復習にも集中できない、というどっちつかずの状態でした。
 今日の午前と午後の先のコマの講師は美人というよりは知的な感じの人でした(でも、結構きれいな方でした)。私に配慮してかしないでか、CDエクスプレスタイ語第5課をほとんど進めないで、でもきちんと来た人のために授業をやっていたみたいで、形だけ申し訳なさそうに、心中は仕方ないだろうという感じで教室に入ると、まぁすんなり授業に混ざることができました。
 今日やった講義3コマ全体の印象ですが、最後のコマがタイ人の、昨日の最後のコマを担当した講師と同じ人だったせいもあるし、私の昨晩の復習が不徹底だったこともあるしで、もうタイ文字は読めない(まぁ2回も習ったことがあるとはいえ、久しぶりだし、その中での3日目だから仕方ないのかもしれませんが)、単語は覚えていない、(私の)発音は相変わらずモゴモゴだし、もうこの講義は「エクスプレス(急行)」というより「マッハ」の速度で進行しているという印象で、「うわぁ、もうついていけないよぅ!」と心中で泣き叫んでしまいました。
 この状態を打破すべく、家では誘惑物が多いとか、勉強に熱中できないとかいろんな理由を付けて、今日の講義終了後、即帰宅せずに講義場所の食堂(実は講義場所は留学生会館なのです)でアジア各国の人々と混じってタイ語の勉強……
と思いきや、腹が減っては戦はできぬとばかりに向かいのスーパー(実はこの座敷牢の近くに昔あった大丸ピーコックなのですが……)で食事を買い込んで胃の中にぶち込んだのが命取りで、食事前には少しはできたのが、食事後には満腹すぎてやる気を失ってしまい、結局満腹と睡魔で留学生会館を後にしました。時間は午後9時のことでした。
 帰り道、地下鉄を乗り継いでターミナル駅に着いてみると、台風の影響で夜の特急列車はすべて運休ということ。まぁ行きも帰りも往復で特急に乗る気はなかったので問題はありませんが。それで睡魔に答えるべく、いつものように(というか、昨日の乗り過ごし事件が怖かったのもありますが)各駅停車を選択して最寄り駅まで戻り、川中島時代の川崎大師⇔川崎よりも\100も高いバスで11時過ぎに牢屋に収監されました。
 このままでは置いていかれる、あしたからはテキストにルビがなくなるから間違いなくタイ文字が読めるようにならないとまずい、というわけで、夜を徹して復習をしている最中なのですが、ブログを叩いているようじゃねぇ~。とはいえ後がないので、あしたの授業開始ぎりぎりまで復習を続けるしか道はありません。しかし、講義が6時間あるのに、復習時間はせいぜい3~4時間、徹夜すれば8時間くらいは取れるのでしょうが、1日復習をさぼったツケは大きく、講義の進行に復習が追いつかない状態です。
 では勉強を続けたいので今日はこれまでにします。

2005年8月24日 (水)

タイ語2日目、ついに睡魔に襲われる

 今日は地獄の(うそでーす?)タイ語5日間集中レッスンの2日目でしたが、ついに(というかもう)授業中に寝てしまいました。だって昨日座敷牢に収監されたのが午後の10時で、12時間後にはもう次の授業があるんですよぅ。で、この牢屋から講座会場まではどんなに急いでも1時間半はかかるし、起きてすぐ出て行くわけにもいかないから、そのまた1時間くらい前には起きないといけないし、そうすると7時半。私ゃ健康な方法でその時間に確実に起きられるメソッドを知りません。できることといえば入眠障害の副作用を持つ薬を大量に飲んで寝なくする(あるいは睡眠時間を大幅に短縮する)ことだけです。もちろんその方法を選んで、薬を深夜、大量に飲んだのですが、朝になって薬でも効果がなくなってきて、今日は1日寝不足の中授業を受けていました。早朝に寝不足解消のために仮眠を取ったのもいけなかったですね。そのせいで7時半に起きなければいけないのを8時過ぎに起きてしまい、朝食も取らず飛ぶように講義会場に駆けていきました(いや、バスと電車なんで、駆けていくも何も彼らのスケジュールに従って動いていただけですけれども)。おかげで朝も15分遅刻…。なに大事な講義代をどぶに捨てているんだよ。
 寝不足といえば、帰り道、せっかく急行電車に座って帰れたのに、目的の駅を寝過ごしてしまい、折り返して元に戻るありさま。それだったら最初から各駅停車で座って帰った方がよかったのではないでしょうか。
 でもその仮眠のおかげで2時間1コマの3コマ制の講義のうち、15分遅れで駆け込んだ1コマ目と午後の2コマ目は問題なく起きていられたのです(講師が美人の―ただし既婚の―女性だったからかもしれません)が、3コマ目にタイ人の講師に代わり、授業がパターンメソッド方式の言い換え練習中心になってから、まだタイ語を再開して2日目ですよ、すらすらと言い換えられるはずもなく(いや、昨日復習しなかったせいもあるが)、最後の30分くらいで睡魔がどこからともなくすぅっと忍び寄ってきて、我が大脳に座り込まれてしまいました。で、その部分はまったく授業から飛ばされて、私としてもその30分分の費用はどぶに捨てたも同然…
 で、授業はここまでどのように行われたのかというと、予定では今日の2コマ目までが発音と文字の練習で、3コマ目に第1課~第2課を習う予定だったのですが、受講者が少人数だった(4名)こともあり、昨日からすでにハイスピードで予定を超えて授業が進んでいまして、今日の1コマ目に発音はだいたい終わり、2コマ目には第1課~第2課に入っていきました。2コマ目の2課は基本的なあいさつの練習なので、少しは文法もやりましたが、大体はフレーズを覚え込むという形式で、それに少し言い換え練習が加わったというものでした。先生が日本人なので少し甘めに授業をやってくれたというのもあったかもしれません。
 私の方はといえば、昨日復習しなかったせいでしょうが、タイ文字の複雑さに圧倒されながら、へいこらへいこら講師に指された質問を昨日のノートとサブテキストを参考にしながら、1問30秒くらい時間をかけてふにゃふにゃと答えるありさまでした。いつもなら間違っていても大きな声で堂々と答えるものなのですが…
 特にタイ人の先生が教えていた3コマ目の第3課~第4課では本格的に会話に入っていったので、文法力も試される授業で、授業のわからなさと睡魔と戦いながら、果たして身に付くのだろうかと不安に駆られながら今を過ごしています(だったらブログなんか書いていないで復習しろ、復習を)。
 ハイ、それでは復習を続けて、あしたにはきちんと講義についていける、睡魔との戦いに勝てる私を皆さんにお見せしましょう。

2005年8月23日 (火)

タイ語3回目のチャレンジです

 昨日予告編を書こうと思ったのですが、まなこが重くてあきらめてしまったので、開講してしまった今日書きます。
 タイという国には、失業してからいろいろな面で非常に興味を持つようになり、そのお国の言語たるタイ語を習いに、川崎の寓居から2度にわたって学びに出かけたものです。 一度目はバイクで長駆1時間、仙川と吉祥寺の中間にあるアジア・アフリカ語学院で臨時に開講された(と思われる)夏の1ヶ月講習でした。その講習では入門を教えるということで会話に重点が置かれ、あのちょっと見にはラテン文字(アルファベット)に見えるタイ文字は教えないという方針で進めていったのですが、いつの間にか計画がずれて、タイ文字もやるということになって、不徹底にタイ文字を使ってタイ語を習うことになりました。まぁ例によって復習をしない私の性格が悪いのですが、文字も不徹底、会話はまぁ一応きちんとやったのかなぁ、というような感じで進められた講座で、結局タイ語の香りに触れただけでこの講座は終わってしまいました。もちろんまわりにタイ人の友人などおらず、そこで得た知識は死蔵されることになりました。
 二度目はそこよりは近所の横浜・桜木町(みなとみらいのそばです)のタイ語学校で入門を学んだり、プライベートレッスンを受けたり、何か方針に一貫性がなく、ただ授業料を払っていた感じだったのですが、やっぱりそれでもきちんと復習さえしておけばそんな語学校のレッスンからでも学べることは学べたでしょうに…
 その後、W杯の熱狂の直後に強度の熱中症にかかり、1ヶ月半近く川中島のベッドで寝込んでいたか、徒歩50歩の定食屋で食していた(しかし、病気がたたって出されたものを食べきれずに残していたが)か、駅前(徒歩5分)の病院で点滴を受けていたかという重体になり、それまで習っていた外国語の知識、それこそ自然に覚えた日本語から、中1のころから習っていた英語から、別に習っていたポルトガル語や、独学で少しはできるようになったドイツ語から、そうそうベトナム語なんてのも習ったことがあったっけなぁ、そしてここで話題のタイ語まで、身につけていた言語の知識がみんな脳みその中から飛び去っていったのです。あぁ、もったいないなぁ
 それでそれらの言語を再履修(と言っていいのでしょうか)する機会をうかがっていて、血眼になって探し当て、今回受講している場所を見つけたのですが、見つけてすぐに習いに行っているというわけではありません。受講料が5万円以上もする講座をおいそれと習いに行くわけにはいきませんでした。それに週1回の授業では今までの三の舞に陥るだろうから、集中講座の機会とお金がたまるのを待っていました。
 転機は収監(普通の言葉に訳せば引っ越しだけど、私の感覚では牢屋に入れられたというのが正直なところです)でした。何もしなければ自然にお金がたまっていく環境の中で、ある金は使い切る、が信条の私でも幾ばくかのお金がたまるようになり、今月になってその5万円を超す授業料(と7~8千円はする交通費)を払う機会に恵まれ、「(5日間集中)エクスプレスタイ語コース」を受講できることになりました。

 初日の授業の感想からいいますと、さすが練達の講師の授業は違うな、と感じました。今までタイ語の文字を何度も習っていたのですが、単純にタイ語の文字順に上から下まで覚えようとしていたのと違い、タイ語の仕組みに従って教えるやり方は目からウロコが落ちたような感覚でした。それにタイ語は中国語のような声調言語なのですが、タイ文字を読むとどの声調で発音すればいいかがきちんと書かれていて、それを表にしてまとめたものを何度となく覚えようとしたのですが、理屈抜きには覚えられず、結局そのままに放置していました。それを今日の講義では理論と実践できちんと教えてくれて、復習さえすればもう身に付くのではないかと思うくらいはっきりしていました。

 問題は講義は午後5時に終わったのですが、その後に病院→薬局(ここで約1時間消費)→各駅停車で最寄り駅まで帰宅(1時間かかる)→散髪屋→電気店とあちこち寄ったり、時間のかかることをしたりして、この座敷牢に戻ったのが午後10時というありさま。私ゃ浜松に鈍行列車で帰宅したのかい、というざまで、この牢屋における一種の門限が過ぎていて、夕食も出してもらえず、復習するいとまもなく、ブログを書いたら(だったらその時間を復習に使えよ、との声あり)さあ寝よう、と待ちかまえている算段で、また復習しない病に陥るのかなぁ、と心配しています。あしたは必ず最短時間で帰ってこよう。そして2日分復習するんだぞ、と。読者の皆さんもそうなるように祈ってくださいね。

P.S.ところでココログって、ハングル中国語の簡体字の入力はできるけど、タイ文字の入力ってできるのでしょうか。

2005年8月18日 (木)

日大三高敗れる&山口県宇部市

 残念な話ですが、甲子園での今日の第2試合、我が母校日大三高は宇部商業高の前に3対5で敗れました。我が方の最初の1点は緒戦(対高知高戦)でもホームランを放った江原。今日は打線の組み替えで今までのトップから7番に下げられましたが、その屈辱を晴らすべく一発。
 さらに強打の日大三高健在で、1回と6回にミスで1点ずつを失ったものの、8回には2死満塁の場面から8番桒田(くわた)の2点タイムリーで一時は3対2と逆転しました。ところが9回に大越がつかまり、無死1・2塁でライトオーバーの3塁打を打たれ、再逆転され、その後も失点を重ねて大越降板。三高サイドはその裏に2死から1・2塁のチャンスを作って、本塁打でサヨナラのシーンを演出するものの、いくら打者が4番とはいえ、さすがにそんな都合のいいことは高校野球では起きないもので(清原級の大物だったらわからないけど)、結局我が校はベスト8で甲子園を去ることになりました。
 しかし宇部商高のエース好永投手もそうですが、日大三高の実質主戦の大越も(時々いい球と悪い球がはっきりする癖は出たものの)決め球のスライダーがよく決まり、8回までは好投を続けていました。そこまではイニング数を超える三振を奪っているピッチングをしていただけに、8回に逆転してからあとの9回表に突如乱れたのが不可解です。多分それまでビハインドの立場で投げていたときの緊張の糸がリードを奪ったことで切れてしまったのではないでしょうか。一方の好永投手も8回に逆転を許したり、再逆転したあとの9回に一打同点のピンチを(二死ながら)招いたというのはメンタルな面が大きかったのでしょう。
 やはり日大三高の問題は、最初の2失点が守備のミスによるものというのが痛かったです。一方の宇部商高には目立った守備のミスはありませんでしたから(2・3回内野安打を許した場面はありましたが、それはミスのうちに入らないでしょう)。やはり高校野球はミスをした方が負けるというのが常道なんでしょうか。その2失点がなければ終盤まで1対0で推移していたわけですから。そして8回9回の逆転再逆転劇もまた違った形になっていたことになりますので。
 何といいますか、今日の試合は1点差なら逆転できますが、2点差になったらゲームエンド、ということでしたのでしょうか。まぁ遠く600キロ離れた地でテレビを見ていた立場では何とでもいえるのでしょうが、甲子園にいた両校ナイン、そしてアルプススタンドに陣取っていた両校応援団にとってはこんな小差の試合ならばあきらめないで戦えると最後まで信じていたことでしょう。
 宇部商高の玉国監督のコメントの中にその一端がうかがえます。(9回表の再逆転劇に)「びっくりしました」(8回裏に逆転されたあとのナインへのアドバイスとして)「まだ9回があるからあきらめるな」(1対0ないし2対1というわずかな差で投げてきた好永投手への激励として)「好永投手には辛抱強く投げろと指示」
 そして、宇部商高久しぶりの快進撃については「20年ぶりのベスト4にはうれしい」と素直に対応していました。
 対して日大三高小倉監督のコメントには「9回(表、宇部商高の攻撃)の場面(無死1・2塁の場面で)、送ってくるかと思ったら強攻された。(選手に)何も策を指示してやれなかった私の責任かな」とのことでした。さすがに歴戦の監督は選手のミスを怒ったり悔しがったりするようなコメントはプレスの前ではしないものですね。

 話は変わりまして、私の過去の旅行話から宇部を取り上げます。
 山口県宇部市には平成5年の夏に旅行で行きました。もう12年も前の話ですね。当時の寓居があった清水市(現・静岡市清水区)から青春18きっぷを使って、夜行列車から普通列車を乗り継いで、明石より西は初めてとなる山陽本線に乗って17時間くらいかかりましたかなぁ、宇部新川の駅にたどり着くまでは。山陽本線にも宇部という駅はありますが、町の中心部は宇部線の宇部新川で、宿も宇部新川の駅そばに投宿しました。田舎町では夜の7時8時というのはもう深夜で(それは言い過ぎか)、まともに食事を出してくれる店はみんな閉まっていました。でも山口県内ナンバー2の地方都市ですから、中心部より街道筋に行けば、名物料理というのはなくても、日本人なら常識として知っているファミレスやファストフードの店が夜遅くまで開いていたのでしょうかと、今にして考えてみると残念です。
 次の日は午前午後とも市内観光で、午前は常盤公園へ行き、市の炭坑の歴史を眺めたり、カッタくんという、当時局地的にはやっていた宇部のイメージキャラのモデルになったアヒルだかペリカンだかに追っかけられたりしながら公園の午前のひとときを満喫していました。午後は、これ書くと私ストーカー扱いされかねないので嫌なのですが、勇気を出して書きますと、当時私がファンだった西村知美のふるさとのある藤曲地区へ行って、その辺をぶらぶらと歩いて、西村知美が幼少時代にどんなところで暮らしていたのかを見てきました。彼女の母校である藤山小、藤山中も見てきました(もうどんなだったか忘れましたが)。そうやって他人には何だろうと思われるような一日を過ごして、夕方に次の目的地、福岡へ旅立っていきました。
 今から考えると、もう少し宇部のことを前もって調べて、レンタカーでも借りていろいろな所(たとえば港)を見に行ってみるべきでしたね。
 今無所属の私としてはもう一度宇部に行って、藤曲地区あたりをそぞろ歩きしてみたいものですね。最も今となっては西村知美のことなどあまり気にしていないし(昔ファンだったということだけで)、下手に芸能人のふるさとなどをうろついていると白黒ツートンカラーのサイレンの付いた車がやってきて、私を連行しないとも限らない。でも、藤曲地区の適当に住宅地で適当に田舎という風景は結構気に入りましたので、どうにかならないものかな、と適当に考えている私でした。

2005年8月16日 (火)

ブログ復活&強打の日大三高健在!

 今まで半月ほどブログを休ませていただきました。原因は他人の私信を勝手にブログに掲載したことでした。しかしその件で恩知らず呼ばわりされたのには精神的に参って、ブログの執筆を一時的に休ませてもらうことにしました。
 少し前にそのメールの主から「絶交する気はない」とのメールをいただき、これはブログを再開するきっかけにしなければいけないだろうと思い、今日のブログ再開に至ったわけです。
 本来ですと、わざわざ【謹告】まで出してブログを休刊したわけですから、もっと長く休むべきなのかもしれません。しかし、そのメールの主が「他人のメールを勝手に引用したりしなければ、ブログを書くことは勝手にしなさい」と言ってきたので、ふつうに毎日(いや、私の場合は中3日くらいかな)ブログを書く分には問題がないと判断して、ここに再開を決定した次第です。
 休刊中にも書きたいことはあったのですが、なにせその人の誤解(いや、理解というべきか)が解けないことにはブログを書くのもはばかられると思いまして半月の休みをもらっていたわけですが、その間に私の母校である日大三高が甲子園で快進撃を続けていまして、これはブログネタになりますな、と思いつつ2試合を観戦していたわけです。いや、実はそのほかに、桐光学園高(ここは我が日大三高が所在する東京都町田市に隣接する川崎市麻生区に学校があります)対近江高校(4年前に日大三高が日本一になった時の決勝戦の相手高)の試合と、勝った方が3回戦の相手になる前橋商業高対熊本工業高の試合も見ていました。
 前者は桐光が初回にいきなり5点を失ってどうなることかと思いましたが、あきらめない桐光は毎回のように1点ずつ加点して、結局その5点差を逆転することに成功して桐光が勝利を収めたという試合内容でした。後者は伝統校対決にふさわしく守備のしまった試合でしたが、前商が投打ともに内容が上回っていたという試合でした。しかし、漫画家のあだち充が前商の卒業生だとは放送で初めて知りました。
 我が三高の試合はと言うと、緒戦は部員の不祥事で出場を断念した明徳義塾高に代わる出場校である高知高校との対戦でした。判官びいきの日本人らしく、高知高に観客の同情が集まりましたが、打撃の日大三高らしく(いや、小倉監督は「ウチらしくない」と切り捨てましたが)2本の本塁打で好投手二神を撃破し、3回戦に出場しました。途中、4対0から高知高に2点を取られた時はヒヤリとしましたが、8回に本塁打とタイムリーヒットで2点を追加して6対2にしてからは安心して見ていられました。
 3回戦は昨日行われ、先に述べた前商対熊工の勝者である前橋商業高が対戦相手でした。我が校の実質上のエース大越の調子が不安定で、なんと2回表に先制されてしまうという展開でしたが、すぐに打撃の三高の本領を発揮し、その裏に逆転に成功すると、双方とも不安定な投手から着々と加点し、守備では(特に前商に)好プレーがたびたび見られたものの、三高が9対6という打撃戦を制し、ベスト8に進出することに成功しました。予選から通じて4点以上取られる試合はなかったということですが、監督はこの試合では打線につながりがでて、「打撃の日大三高」の本領を発揮したと評価していました。しかし9回表に一打同点のピンチには三高サイドで見ている方にとっては、「なぜアウトが取れないのか」と心配する場面も見られ、点差より接戦だった印象が残ります。
 注目の準々決勝の組み合わせは、三高は18日の第2試合に、今行われている宇部商業高と酒田南高の勝者と対戦することになりました。予定としては準決勝で大阪桐蔭高校と、決勝で去年涙をのんだ駒大苫小牧高との再戦になることと思いますが、まぁ勝負は時の運ですから、ウチが順調に勝ち上がるとは限りませんし、大阪桐蔭高校や駒大苫小牧高も(確かに両校とも本来の力を発揮しているように見えますが)やはり勝ち上がってくるとは限らないというところがトーナメントなのでしょうか。

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